八王子市夢美術館では、明治末、大正から昭和にかけて一世を風靡した画家・竹久夢二の展覧会を、竹久夢二美術館の協力を得て開催します。本展覧会は「夢二の夢」と題し、夢二が紡いだ“夢”の系譜に焦点を当てながら、新たな竹久夢二像に迫ります。
明治17年(1884)、岡山県の小さな造り酒屋に生まれた竹久夢二は、その後開花する大正ロマンのまさに寵児となった。その活動は、日本画、水彩、油彩、版画、水墨画から、詩歌、作詞、童話、挿絵や装幀等と多岐にわたり、そうしたマルチな側面は今日でも数多くの媒体などで紹介されているところである。
本名は、茂次郎(もじろう)。夢二という画名は、尊敬する藤島武二の名にちなんだものといわれるが、夢二がどんな思い入れがあって自らの名に"夢"を冠したのか?ー また、夢二にとっての"夢"とは、どのようなものであったのか?ー これまでほとんどとりあげられてこなかった。だが、それは彼の足跡や画業をたどれば、ほのかに結んでくるかのようである。
例えば、夢二が欲した愛は成就すればたちまち生活という現実が浸食するような形のものであった。愛が夢のようであるためには、永遠に成就することのない愛の世界に生きるしかない。その刹那こそ、夢二が安住できる身の置きどころであったといえる。また、晩年、夢二は榛名湖畔で清純な少女にかしずかれて永住することを念願し、その情景を描いた。しかし、そのタイトルは『旅』。これは生来旅人としてしか生きられないジレンマをよくあらわしている。
夢二のその耽美的な資質は、はたしていつ形成されたのだろうか。幼少の頃から青年期までの記録が少ないため判然としないが、幾人もの女性たちとの愛をつづり、描きながらも、最期は孤独に殉じたことだけは確かである。だからこそ夢二の夢を夢幻の刹那として、完結させることができたのではないだろうか。
本展ではそうした"夢二の夢"を、自身の作品や言葉あるいは彼をよく知る人の評から紡ぎだし、夢二が生きた時代と人生の変節に沿いながらその本質に迫る。"夢二の夢"の痕跡からはいったい何が見えて来るのだろうか?



「セノオ楽譜 宵待草」楽譜
春 『婦人グラフ』大正15年1月号
モントレーの丘から 昭和7年(1932)