これまでの展覧会の紹介



「夢枕」より ©林静一 発行 PARCO出版
夏目 そう。レースの下着が象徴するような、つまりそこからバブルに行くんですよ。勝手な読みなんですけど。線が変わったと思いません? 山下さん。

山下 たまたま「COMICばく」ってリアルタイムで買ってたの持ってきたんですけど。これ87年ですよね。まあバブルの頃で。たしかにこの線は70年代のものとは全然違いますよね。この時までいわゆる紙の漫画ってしばらく描いてらっしゃらなかったですよね。

 そうですね。「夜行」にはずーっと描いてましたけどね。

山下 あぁ「夜行」に。

 あと寺山修司さんがね「ペーパームーン」っていう本を出されて。そこにカラー漫画「憂鬱なモモ子」を描いてました。

夏目 あの、まったく個人的な印象でいうと、イラストにしても漫画にしても、70年代までの林さんのものって、時代を全部背負っていて、80年から個人のスケベに変わって行く(笑)。


「夢枕」より ©林静一 発行 PARCO出版
山下 「pH4.5 グッピーは死なない」っていうのは、ある意味軽いスケベのお話しではありますけども、この「夢枕」はまたぜんぜん違いますよね。解説書くのに読ませてもらって今まで僕が林さんに対して持っていたイメージとずいぶん違うなって思いましたね。

夏目 まず、70年代まではっきりと直接に手を感じる。指先の感触から、時代のささくれを感じていたんですが、80年代から非常にきれいに、展覧会の絵なんかみても透明感のあるスーッと流れる線になる。それがですね、この「夢枕」の最初の「ビッグゴールド」の連載のとき、アニメのセルに描かれていて、これは物質感がまるで違うんですよ。手の感じじゃないんです。かといって透明っていうのでもないんですよね。レイヤーの感じがあるな。つまり層になっているんですよね。線自体が層になっている感じがして、今度のものはCGですから、よりそれが強い感じ。

山下 僕もCGでここまでぬけちゃうとかえって好きですね。もちろん70年代の手の要素も大好きです。僕にとって漫画って、つげさんを始めとする人の手の要素に子供の頃からずっと親しんできたので、今の中途半端なものは拒否感があるんだけど。今度の夢枕ほどすぽんとぬけちゃうと、かえって、あぁそうなのかと。

夏目 だからポップアート的な美しさに近いものがある。

湯浅 すぱんとぬけていて、手の要素はないけど、ストーリー構成とか、画面の選択とかに異常な程の林さんの思いのマグマが。途中からものすごいことになってくる。まさかこんなえらいことになるとは(笑)。

山下 美術史漫画じゃないか、だから僕に解説の依頼があったのかって。

夏目 そうですよ、そうですよ。ここから先は山下さんに。

山下 いやいやいや。

湯浅 相当ハードコアな漫画になっちゃったんですね。これ。

 「グッピー」を描いてすぐ「ビッグゴールド」の依頼が来て。じゃあカラー漫画やりましょう。夏目さんがさっき80年がターニングポイントっておっしゃったけど、「グッピー」で語った時は70年代だね。日本の共同体が解体していく。たとえば、江藤淳さんの「リアリズムの源流」とか、吉本隆明さんの「共同幻想論」じゃないかな。それからそういうのと比較して、引っ張ってくるっていうとリアリズムの話になっちゃうんで…

夏目 ちょっと待ってください、今の話題はついてこられる人あんまりいないと思うよ。(笑)誰か解説してよ。

湯浅 「グッピー」は描き直してるじゃないですか。描き直した版の方がスケベになってる。ここにこだわりがあったのかって、こだわっている所ことごとくものすごくスケベで。さすが林さんだなって思って。

 そうですか。(笑)漫画とか、小説の部分というのは、そういう部分を語りやすい。夏目漱石さんの草枕って言うのを見た時に、普通の小説の概念じゃないですよね。画工が旅をしながら、おばあさんの茶店で、あのへんなんか、一幅の絵を描いているような感じです。でも、一方でハードに美術論を語ってるじゃないですか。ちょっと驚きます。

山下 漱石も完全に美術フリークですもんね。

夏目 絵はヘタだけどね。好きだったんですね。(笑)

山下 「夢枕」の解説の中に書いたんですけど、「草枕」自体がそもそもビジュアルを意識した小説ですよね。漱石の弟子の小宮豊隆が「草枕」という小説は「美しい絵画を幾百枚とならべたような作品である」って解説を書いていて、これを引用すれば自分の解説できるなって思ったけど。まさにそういう部分を、林さんが受け止めて、実際に絵にしちゃったっていうことが読みながらだんだんわかってきた。もともとこの小説の中に入っている要素があるんですよね。

 そうそう。だから、ちょっと驚きましたよね。明治にああいう形の、要するに前衛小説ですよね。

夏目 僕も詳しい訳じゃないんですけど、「文学論」という仕事を漱石は学者としてやっていた。小説という概念が西洋と東洋では全然違う。ヨーロッパの近代小説ではない、もっと普遍的な文学概念ががありうるだろうと。あの人は中国の漢籍が好きで、東洋の世界にこれが芸術だっていわれているものがあって、それを近代小説でやったらどうなのかっていう実験なんですよね。その一番核になるコンセプトが「非人情」。近代小説の心理描写で、人間の持っているぐちゃぐちゃしたものの中に入っていくっていう、彼は小説っていうのはだいたい探偵が書くものだって言っているんだけど、人間の心理を探偵するフロイト的方向みたいなことを言っていて、でも、そうじゃないものがあると。つまり「非人情」って、どうもそういうつもりなんですよ。

山下 一枚の絵にするみたいな。言葉で絵を描くみたいな、そういうやりかたなんですね。

夏目 基本的に、西洋の芸術観というのは、いわゆるハイアート的な領域では(これ山下さんの前で言うことではないんですけど)、言葉と絵ってものすごく離れている。言葉を純粋に追求すると近代小説になり、絵を純粋に追求するとファインアートになる。まったく別のものなんですよ。東洋では両者がかなり近いわけですよね。一幅の中に両方入れてしまったり。多分そういうことがあって、言葉で絵を起こすことが可能だろうと。

山下 山水画ってね、上に讃がしてあるわけですね。だから、言葉とビジュアルとの関係がすごい高いレベルでツーカーな所があって。そういうベースがあるわけですよね。だから漱石もそういうことを念頭においていたんだと僕は思う。それを林さんが理解したうえで今度はこういう形にするっていうのが、いいな。

夏目 それがCGだってところがね。CGの漫画。

山下 これむしろね、たとえば70年的なタッチだったら、ちょっと僕ついていけないかもしれない。途中でやめているかもしれない。

夏目 若干ペダンチックな部分があるので、CGの軽さだから読めるけど、けっこう、これ気合はいってますよね。

山下 だってこれ註付いているもんね。専門用語に。難しい漢字には必ずかなが振ってあって、意味もふってあるから。

夏目 あれ、註はご自分で?

 いやいや、PARCO出版のかたが。

湯浅 だから、編集者が難しいと思ったんですよ。

山下 大学のテキストに使うのに丁度いい。いやほんとに。周文の山だ、とかでてくる。大学生ったって室町時代の周文のスタイルがどういうのって頭に入っている子なんていないわけですよね。これを入り口にして、じゃあ林さんのイメージのもとになったものを見せていくっていう授業にしたら丁度いい。